旅の果て

先日、大好きなお友達のお父様が亡くなられて、お葬式にいってきました。
その日も今日と同じ生憎の雨。
でも、ありがたかったことに、お休みの日だったので、参列することが出来ました。

生前お会いしたことは無かったけど、最後に会えて良かったです。
でも、生きてる時にあいたかったな、と残念に思う位、優しい空気に包まれた不思議なお葬式でした。

参加してる人皆が、寂しそうだけど、温かい気持ちで参列していたと思うのです。
義理で参加しているのではなく、心から別れを惜しんで、そしてご家族はもちろん、亡くなられたお父様自身もそこに来てくれたみんなに感謝してるのが感じられるお葬式だったように思います。

私は「空気を読む」「空気を感じる」ということにとても敏感で、なんとなくのオーラをまともに受けてしまうのですね。
空気が淀んでいる所には行きたくないし、重たい空気を持っている人は苦手です。
いやおうなしに、「共有」しやすいから。
人が悲しんでると悲しくなるし、明るく楽しくしてると、楽しくなる。
人間って多かれ少なかれ、そういう所があると思うのですが、人よりも敏感なんじゃないかな?と思うのです。

そのお葬式は、暗い部分はなく、純粋にもうあえないというのが悲しくて、でも「ありがとう」が充満してて。
「良い」という形容詞をお葬式につけるのは、どうかなとも思うのですが、清々しい良いお葬式でした。

お父様もあそこにいらしたんじゃないかな。。

祖父が死んだ時、お通夜では感じてた「気」が、お葬式ではなくなった、と感じました。
それと似たような感覚で、お父様は居てたんじゃないかなーと思ったのですよ。

肉体は魂を守る鎧であり、足枷。
そこから放たれたら、どこにでもいけるけど寂しいほど自由で孤独。
他の人と手を繋ぐ事が出来ず、言葉を交わすことが出来ない。
でも、気持ちは繋げるのではないかなと思っています。

お父様に「大事にしたってな」と言われた気がしました。

彼女は人を大事にしてるので、人から大事にされるけど、自分で自分を大事にしないから、とても心配。私や周りの人がもっと大事にせなあかんのかもなー。
中々連絡しなくて悪いのだけど。。

死ぬときに、その人の人生の価値がわかると私は思っています。
人に心底居なくなって悲しいと思ってもらうこと。
そう思ってくれる人を、作れたというので、計れるんじゃないかなと思うんです。

お母様がお父様の棺にすがり付いて「ありがとう」を連呼していました。

伴侶にそう言ってもらうのが、一番正しくて難しいんじゃないかなと思います。
それを目指して頑張りたいと思います。

旅の果てに、綺麗な涙と、ありがとうがあるように。
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by arumi-okano | 2006-07-24 01:32 | 思考日記