惨劇を打ち破れ
2007年 09月 26日
前回日記に書いた「ひぐらしのなく頃に」
ある事件の殺害方法と凶器が似てたということから、アニメが放送中止になった地域もでるなど、ちょっと話題になりました。
ただ、凶器が似てるだけでこれが元で殺人が起こった・・・みたいな報道は大変間違いです。
実は原作は『どうすれば殺人を回避できるのか?』がテーマだったりします。
ちゃんとゲームを最後までやっていれば、あのゲームが原因で人を殺すなんてありえない。
で、色々考えてみました。
鉈で父親を美人局にはめようとしていた人物を殺す、という描写があります。
ここの「鉈」が「斧」と似てるから。
そういうビジュアルのイラストがポスターになったりしたから、よく知りもしないTV番組制作者が歪曲させた知識を報道したと思います。
『でも少女に鉈で人を殺させる描写は必要あるのか?』
考えを進めると、この疑問が出てきました。
そして、答えは
『ある』
惨劇を描く事によって、最後によりテーマを浮き上がらせることが出来るからです。
話のネタばれはやめておきます。
調べればすぐにストーリーを読めると思うので、興味のある方はそちらを読んで下さい。
今回のことを考えると物語を考える上で、しいては生きていく上でいえることにたどり着きました。
闇が濃ければそれだけ光が眩しくなる
ひぐらしでも最初の方のお話はとても悲しく辛い出来事が続きます。
行き違いすれ違い、諦め、狂気。
こうするしかなかった、、と思うけれども、でもそうしなければ・・・とも思う、胸が痛くなるような選択を主人公達はしていってしまいます。
目を背けたくなるほどの惨劇が展開します。
だからこそ、物語は
『惨劇を打ち破れ』に繋がっていきます。
子供をもって思うこと。
「この子には辛い思いをさせたくない」
「出来る限り幸せな人生を歩ませたい」
心の奥から出てくる感情です。
でもね。
自分の人生を振り返るに、辛かったこと苦しかったことがあるからこそ、今の自分があり、人の痛みも自分の痛みのように感じれる心を持ったんです(それが幻想であろうとも、共感しようと思う・共感してしまう自分になった)
親は子に悲しみや痛みを回避させようと準備していこうとするけど、果たしてそれは良いことなのか?
でも、想う気持ちは悪い事ではないはずなのです。
難しいなぁ、と。
深く考えるとどうしてもコインの裏側と表側を見てしまう自分が居ます。
この考えになったのも、色んな経験したからです。
でも世の中には表側だけ見てたい人も居て、自分の娘がそうだったらどうしようと思います。。
(うーん、でも結局子供は親を見てるから、似てくるとは思うんですけどね)
話を広げすぎてしまって、うまく纏まらないのですが、
一言で乱暴に言ってしまうならば、
必要ないものなんてこの世にはない
いかにどう選択していくことかが重要
なんだと思います。
選択方法を教えてくれる人って世の中には少なくなっていて、
選択してはいけないことがあいまいになってきてるような気がします。
惨劇に目をやり、それを戒めるより、
物事の本質は何かを考え、
打ち破り方を教えるのが大事なんじゃないかと思います。
あぁ、上手く書けないなぁ。。
ちゃんと言いたい事が伝わってたら良いけれど。
ある事件の殺害方法と凶器が似てたということから、アニメが放送中止になった地域もでるなど、ちょっと話題になりました。
ただ、凶器が似てるだけでこれが元で殺人が起こった・・・みたいな報道は大変間違いです。
実は原作は『どうすれば殺人を回避できるのか?』がテーマだったりします。
ちゃんとゲームを最後までやっていれば、あのゲームが原因で人を殺すなんてありえない。
で、色々考えてみました。
鉈で父親を美人局にはめようとしていた人物を殺す、という描写があります。
ここの「鉈」が「斧」と似てるから。
そういうビジュアルのイラストがポスターになったりしたから、よく知りもしないTV番組制作者が歪曲させた知識を報道したと思います。
『でも少女に鉈で人を殺させる描写は必要あるのか?』
考えを進めると、この疑問が出てきました。
そして、答えは
『ある』
惨劇を描く事によって、最後によりテーマを浮き上がらせることが出来るからです。
話のネタばれはやめておきます。
調べればすぐにストーリーを読めると思うので、興味のある方はそちらを読んで下さい。
今回のことを考えると物語を考える上で、しいては生きていく上でいえることにたどり着きました。
闇が濃ければそれだけ光が眩しくなる
ひぐらしでも最初の方のお話はとても悲しく辛い出来事が続きます。
行き違いすれ違い、諦め、狂気。
こうするしかなかった、、と思うけれども、でもそうしなければ・・・とも思う、胸が痛くなるような選択を主人公達はしていってしまいます。
目を背けたくなるほどの惨劇が展開します。
だからこそ、物語は
『惨劇を打ち破れ』に繋がっていきます。
子供をもって思うこと。
「この子には辛い思いをさせたくない」
「出来る限り幸せな人生を歩ませたい」
心の奥から出てくる感情です。
でもね。
自分の人生を振り返るに、辛かったこと苦しかったことがあるからこそ、今の自分があり、人の痛みも自分の痛みのように感じれる心を持ったんです(それが幻想であろうとも、共感しようと思う・共感してしまう自分になった)
親は子に悲しみや痛みを回避させようと準備していこうとするけど、果たしてそれは良いことなのか?
でも、想う気持ちは悪い事ではないはずなのです。
難しいなぁ、と。
深く考えるとどうしてもコインの裏側と表側を見てしまう自分が居ます。
この考えになったのも、色んな経験したからです。
でも世の中には表側だけ見てたい人も居て、自分の娘がそうだったらどうしようと思います。。
(うーん、でも結局子供は親を見てるから、似てくるとは思うんですけどね)
話を広げすぎてしまって、うまく纏まらないのですが、
一言で乱暴に言ってしまうならば、
必要ないものなんてこの世にはない
いかにどう選択していくことかが重要
なんだと思います。
選択方法を教えてくれる人って世の中には少なくなっていて、
選択してはいけないことがあいまいになってきてるような気がします。
惨劇に目をやり、それを戒めるより、
物事の本質は何かを考え、
打ち破り方を教えるのが大事なんじゃないかと思います。
あぁ、上手く書けないなぁ。。
ちゃんと言いたい事が伝わってたら良いけれど。
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by arumi-okano
| 2007-09-26 16:51
| 思考日記