カテゴリ:思考日記( 26 )

二人の天才

漫画好きの私は、かなり漫画を読んでいて(偏りはあるかも)生きる楽しみの一つに面白い漫画がよめること、がある。

好き漫画&好き漫画家は数いれど、「あぁ、この人って天才だわ」と感じる少女漫画家は数人しか居ない(あくまでも主観です)

古くは「高河ゆん」「藤田貴美」「水玉ペリ」を天才だと思っていた。
この人達はほんとに素晴らしい。

で、今は誰なのか?と考えるに、「羽海野チカ」「よしながふみ」をあげる。

昨日アマゾンから注文していたよしながふみが色んな人達と対談している対談集が届いた。
しらなかったのだけど、ここで羽海野チカとよしながふみが対談していたのです!
かなり興奮。

で、読んでるんだけど(今途中です)途中で本を置きたくなったくらい面白い。
(読み終わりたくない対談集ってすごくね?)

二人とも、とても優しい。
読者に対して、とてもとても優しい。
読者が居るから、自分達は描いていられる・・・ということが根底にあるんだろう。
才能を感じる人ほど、謙虚なんですよホント。

同人界出身ってこともあるのかな?(同人の世界は目の前にお客さんが居て、目の前で本をぺらぺら捲られ、面白くなさそうだったらそのまま置かれるシビアな世界ですからねー←経験者は語る)

優しいということは、自分の主観以外の視点を持っているということがとても重要な気がします。

なんか猛烈にこのことを書きたかったので、書きました。

「大奥」「三月のライオン」の新刊が早く出ないかなぁ。
心燃える作品を読む楽しみ待つ楽しみ。
生きてるって感じる素晴らしいエネルギーです。
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by arumi-okano | 2007-10-07 18:25 | 思考日記

惨劇を打ち破れ

前回日記に書いた「ひぐらしのなく頃に」
ある事件の殺害方法と凶器が似てたということから、アニメが放送中止になった地域もでるなど、ちょっと話題になりました。

ただ、凶器が似てるだけでこれが元で殺人が起こった・・・みたいな報道は大変間違いです。

実は原作は『どうすれば殺人を回避できるのか?』がテーマだったりします。
ちゃんとゲームを最後までやっていれば、あのゲームが原因で人を殺すなんてありえない。

で、色々考えてみました。

鉈で父親を美人局にはめようとしていた人物を殺す、という描写があります。
ここの「鉈」が「斧」と似てるから。
そういうビジュアルのイラストがポスターになったりしたから、よく知りもしないTV番組制作者が歪曲させた知識を報道したと思います。

『でも少女に鉈で人を殺させる描写は必要あるのか?』

考えを進めると、この疑問が出てきました。

そして、答えは

『ある』

惨劇を描く事によって、最後によりテーマを浮き上がらせることが出来るからです。


話のネタばれはやめておきます。
調べればすぐにストーリーを読めると思うので、興味のある方はそちらを読んで下さい。


今回のことを考えると物語を考える上で、しいては生きていく上でいえることにたどり着きました。


闇が濃ければそれだけ光が眩しくなる


ひぐらしでも最初の方のお話はとても悲しく辛い出来事が続きます。
行き違いすれ違い、諦め、狂気。
こうするしかなかった、、と思うけれども、でもそうしなければ・・・とも思う、胸が痛くなるような選択を主人公達はしていってしまいます。
目を背けたくなるほどの惨劇が展開します。

だからこそ、物語は
『惨劇を打ち破れ』に繋がっていきます。



子供をもって思うこと。
「この子には辛い思いをさせたくない」
「出来る限り幸せな人生を歩ませたい」
心の奥から出てくる感情です。

でもね。
自分の人生を振り返るに、辛かったこと苦しかったことがあるからこそ、今の自分があり、人の痛みも自分の痛みのように感じれる心を持ったんです(それが幻想であろうとも、共感しようと思う・共感してしまう自分になった)

親は子に悲しみや痛みを回避させようと準備していこうとするけど、果たしてそれは良いことなのか?

でも、想う気持ちは悪い事ではないはずなのです。
難しいなぁ、と。


深く考えるとどうしてもコインの裏側と表側を見てしまう自分が居ます。
この考えになったのも、色んな経験したからです。
でも世の中には表側だけ見てたい人も居て、自分の娘がそうだったらどうしようと思います。。
(うーん、でも結局子供は親を見てるから、似てくるとは思うんですけどね)


話を広げすぎてしまって、うまく纏まらないのですが、
一言で乱暴に言ってしまうならば、

必要ないものなんてこの世にはない
いかにどう選択していくことかが重要

なんだと思います。

選択方法を教えてくれる人って世の中には少なくなっていて、
選択してはいけないことがあいまいになってきてるような気がします。

惨劇に目をやり、それを戒めるより、
物事の本質は何かを考え、
打ち破り方を教えるのが大事なんじゃないかと思います。


あぁ、上手く書けないなぁ。。
ちゃんと言いたい事が伝わってたら良いけれど。
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by arumi-okano | 2007-09-26 16:51 | 思考日記

不思議な話。

今日の日記はちょっと私らしくないです。
ていうか、ちょっと書くの恥ずかしい(笑)
でも不思議なので、考察したいのです。

最近、「おぉ格好良いぞ!」と男の子を見て思う瞬間が増えました。
TV見てて、軽い一目ぼれをしちゃうんだな(笑)

今のお気に入りは「花ざかりの君達へ」で活躍中の生田斗真君。
中津役がはまってるからかもしれないけど、すっごいすっごーーーい格好良い!
(あ、ちょっと書いてて恥ずかしくなってきた・笑)

断っておきますが、私はめんくいではないのです(のはず・・・)
でも最近、「はぅあ!」って惹かれてしまうの、格好良い子ばっかり。

「花より団子」の松潤(「僕は妹に恋をする」とかも撮ってたあたりかな)にもやられちゃったのだけど、今はちょっと熱が冷めてる。(早いな、冷めるの・笑)

生田斗真君への想いも(や、そんなたいした強さじゃないんだが)すぐに消えてしまうのかしら?

で、松潤もそうだったんだけど、実は私は昔、生田君が苦手だったんですね。
基本、濃い顔苦手なんですよ。
しかも甘い顔は更に苦手。
二人とも濃くて甘い顔ですやん?
でもなぜハートをドギュンとされたかを考えるうちに、ある仮説を導き出した(大層ですな)

昔から感じてたことなんだけど、人間には旬というものがある。
(野菜かいっ、って突っ込みはなしで)
女性だったら、女盛りは19だと森高が昔歌ってた。

でも『盛り』って人によって違うんだと思う。
13歳で盛りの人もいれば、30歳で盛りを迎える人も居る。
それが旬ってことなのだろうと思うのね。

松潤も生田君も、顔の造作はそう変わってない(子供時代からは変わってるか)
でも、男の色気が出てきたので、艶というか匂いというか、そういうものを纏っているんじゃないかな、と。
それが私のアンテナにピピピと来たんだろうなと思うのですよ。

風間杜生や三浦友和の若い頃のある一時期なんて、ほんとーーーーーーーに超格好良い。
女性よりも男性の色気って凄いアピールがある(と思うのは私だけかしら?)
ただ、やはり『旬』なので、一定の期間を超えるとなくなってしまう。

ただ、久しぶりに妻夫木君なみに「えーわー」と思えそうな役者さんの出現にちょっと嬉しいのです。
おっかけたい、心の中で(笑)

kinnkiにもこの前やられたし、いつの間にかジャニーズファンクラブに入会している私がいるかも?(笑)

とりあえずはyoutubeで映像を見て、楽しむ位なんですが、ちょっとウキウキします。

不思議な話・・・だったのか?(と自ら突っ込みますので、許してつかーさい)
ではでは。
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by arumi-okano | 2007-09-06 15:49 | 思考日記

心地よく生きよう

ふと思ったので、書いてみる。

大きくわけて人はSとMに分かれると思うのだけど(多分)私はきっとSよりの人間だ。

日々生活していて、しんどいのは嫌いだし、努力をしたり、辛いことを耐えている自分に酔うことはないし(酔える人はMなんだと思う)

んで。
よく自問自答する「何が一番大切か?」

今の私は、「心地よく」が大切なんだろうなと思う。
育児をしていて思うのが、パートナーの協力。
うちの旦那ちゃんは協力的な良いお父さんだと思う。
娘ちゃんを可愛がってくれるし、私のしんどさも理解してくれる。色々手伝ってくれる。
他の男性だったらどうだろう?

…良かった、この人がパートナーで。
と、思う。

彼氏彼女の時は、「生活」なんて

そんなの関係ねぇ~(by小島よしお←ちょっとお気に入り・笑)

でやっていけるし、結婚しても子供が居なければ「生活」よりも「ラブい時間」の方が多いと思う。

でも育児は「生活」であり、今までは自由に使えた「自分の時間」を削らなければならない。

結婚する人は優しい人が良い!というけど、優しいよりも「相手が心地よく暮らせるために、協力できる」てっほうが、良いんじゃないのかな~と。

優しい人はみんなに優しいから、その優しさのために困ることもあるんだよね。
パートナーだけに優しいっつうのもなんか矛盾してるような気がするし(矛盾って言葉はおかしいかもしれないけど、上手い言葉が見つからないからこれで)

「心地よい」ちゅうのは、どれだけの時間を割くかではなく、タイミングとかが重要だと思います。
お互いを思いやって、譲り合って、生活していく。
性格が似て無くても、好みが違っても、心地よく生きることは可能なんだろうなっって、はたと気がついた。

結婚する前にはこの感覚はわかんなかったので、これから結婚する人に「どんな人と結婚したら良いか?」と聞かれたら、「心地よく暮らせると思える人とが良いよ」って答えよう。

愛や恋の感情は、消えたり歪んだり減ったりするからね。
(んでもこれは感情を持つ人間にはしょうがない変化だと思うんだな。変わらないと見えるものも、確実に変わっていくわけですよ。時間と言う概念がある限り)

心地よく生きるために、相手をまず心地よく生活できるようにしてあげたい。
完璧になんか無理だから、ここぞというタイミングを逃さないように。
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by arumi-okano | 2007-08-27 10:31 | 思考日記

わたしたちの教科書

14歳の頃。
全てを捨ててしまおうと思った。
自分を愛してくれてる人はきっと居ないし、自分が居なくなってもきっと誰も悲しまない。
それならば、「生きる」ということに何の意味がある?
意味が無いことを続ける程、私にはガッツがない。
それならば、消えてしまおう。

自分の体に自ら傷をつけること。
これを本気でやろうとすると、驚く程怖かった。
ピアスの穴を開けるために、安全ピンで耳を突き刺そうとしたけど、痛くてやめてしまった位。
驚くべき拒絶反応が手に走る。
これは駄目だ。

一瞬にして消えるなら、電車飛び込みやビルから飛び降り?
でも後の掃除が大変だと聞いたことがある。
そして、美しくない遺体。
美しくないのも嫌だった。
これも駄目。

一番手っ取り早くて、楽に死ねそうなもの。
「薬」かな。
・・・家にあった風邪薬を一瓶飲んでみた。
体が熱くなったり冷たくなったりしたものの、死ぬなんてことからは遠かった。
一瓶位では死ねないんだ。
どうすれば、楽に死ねるんだろう・・・。



色々考えてみた。
でも、やっぱり死ねなかった。
「死ぬ」ことに抵抗はなかったけど、「痛み」には抵抗があった。

今と違ってインターネットはなかったから、楽な死に方など調べようがない。




そのうち。
私は「死ぬこと」をやめた。

私は、味方をみつけた。
私を愛してくれる対象をみつけた。
・・・決して裏切らない対象を。

私は「生きる」ことにした。

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昨日、今期クールのドラマの中で、ずっと見ていた「わたしたちの教科書」が終了しました。
「世界を変えることは出来ますか?」
物語は学校、法廷、謎が沢山出てきて、次回を待つのが楽しみだった。

旦那さんもお気に入りで一緒に見ていて、先週の終わりには、どういう結末になるか全く想像が出来なくて、最終話を心待ちにしていました。



ストーリーが知りたい方は、公式HPをどうぞ。
http://www.fujitv.co.jp/kyoukasho/index2.html


最後に、明日香が子供の頃からの隠れ家に書いた手紙の内容が、自分が「生きる」と決めた内容と全く同じだったので、号泣してしまいました。

人間、誰にもたったひとり、味方が居る。
生まれてから死ぬまで、変わることのない味方が。
人が死ぬことで、悲しむ人が居る。誰にでも。


ストーリー第12話(最終話)の最後に、この手紙の全文が載っています。
お時間があれば、ぜひ。

また、机の上に筆箱がありますが、それにカーソルをあわせると、特別対談が読めます。

明日香のあの手紙をかけるということは、脚本家の坂元裕二さんは本気で死ぬことを考え、それでもそれを一人で乗り越えた経験があるのかな?と思いました。
対談にはそういうことは書かれてないんだけど、「いじめ」ってどうして起こるのか?ということとか、私の考えと似ているのでこちらもお勧めします。


逃げる場所がない子供が、「死」を選ばないように。

死を選ぶ前に、このドラマを見てくれたら良いな、と思うのです。
そうしたら、考え方が変わるんじゃないかな。

なぜ、生きるのか?
その一つの答えが、あると思います。
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by arumi-okano | 2007-06-29 17:06 | 思考日記

私は中丸派。

昔から一番人気には惹かれない。
なんかちょっとずれているらしい。

キムタクには興味がなかったし、反町竹之内両氏は顔が濃すぎて駄目だった。

唯一平成御三家と言われた織田裕二は好きだったな。
でも、カンチの時の彼よりも、「彼女が水着に着替えたら」のちょっとシャイなあんちくしょうの彼が好き。

V6では岡田君の顔というよりも、中身(読書家の所とかね)が好き。顔も美しいとは思うけども。

基本的にジャニーズよりも、ロバートの秋山竜次の方に目が行ったり。
(秋山竜次をなぜ好きかというと、きっとうちの弟に少しパーツが似てるからだと思われる。見慣れてるからなんだろなと分析してみた)

カツーンには最初全く興味がない、むしろ嫌いだったのに、最近はすこーーしだけ良いかも?とおもっている。
(嵐は昔は松潤が大嫌いだったのに、最近気になるグループ。ジャニーズではグループとして一番好きかも)

でも例によって、カツーンの両巨頭には全く興味がなく、むしろあまり好みの顔ではないよのぅと思ってしまう。
冷たい感じがしちゃうのだな。

よって、私はだれのためにカツーンに目が行くようになったのか?
それはタイトルの通り。

中丸君によってです。

ただ、下の名前は知らないし、誕生日も知らないし、ファンとはいえないとおもうのだけど。

TVで中丸君が出てたら、心の中で応援してます。

それでよいのだと思う。

きっとずっと世間的にみて、中丸君ポジションの人に惹かれていくんであろうなと思ったりします。

以上、丘乃あるみの独り言でした(笑)
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by arumi-okano | 2007-06-01 15:28 | 思考日記

月光

B'zの曲に、「月光」というのがある。
名曲です。

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=35365

聞いていると、目の前に情景が見える。
好きになる曲はそんな曲。

でも、目の前に情景が見えるのは、似たような経験をしたか、TVなどで似たような映像を見たことがあるからかもしれない。
同じような場面を思い出し、その時の感情を情景と結びつける。

当たり障りの無い誰もがみるような情景を書き出しているだけでは、そこいらの歌詞のように埋もれてしまう。
色んな人が見ている情景で、でも気がつきにくいようなちょっとした部分。
これを見つけるの、マッキーは天才的だったのですよ。

稲葉さんも最近の曲では、情景を思い起こさせる歌詞は中々書いておりませぬ。
(昔書いた「もう一度キスしたかった」「TIME」なんかはせつな過ぎる。他にも名曲がわんさか)
どうなんだろう?意図的になんだろうか?

書けないのか、書かないのか?
それは本人にしかわかんない。

でもやってることは仕事では顕著に反映されるので、本人の意思だと思う。

いろんな意味から、色んなことは経験した方が良い作品が生み出されるのだろうな。
(情景だけなら、いろんな映画みるのでも良いだろう)

ということで、遠くに旅に出たい病が発病してたりします。
ギリシャ行きたい、ギリシャ。

・・・なんか纏まりがないですが(^^;

とりあえず、今日はこれくらいで。
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by arumi-okano | 2007-05-29 17:19 | 思考日記

お誕生日おめでとう

ひっそりと、マッキーのお誕生日を祝ってみる。

38歳になったのね。
おおぅ。私が38歳になった時、どう思うんやろうか?

毎日関西で朝にやってる「なるとも」という番組では、その日誕生日の有名人を紹介するコーナーがあるんやけど、それもしっかりチェック。マッキーも紹介されてた☆
そしたら、5月18日は「ことばの日(518)」ということも言ってて。
ちょっと無理やり感が否めないゴロあわせだけど(そうでもない?)言葉の日生まれって、彼にぴったりだなと思いました。

んで、今日は言葉について少し。

昔書いてた日記でも、何度か書いたけど、「言葉」というもの。
新約聖書で『初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった』
とある。

人間は昔、言葉というものを持っていなかった。
それまでは気持ちをどうやって相手に伝えていたんだろうか?
ジェスチャー?テレパシー?
手段はよくわからないけど、こういう文章があるということは、言葉が出来てから意思の疎通が出来、そのため言葉を神と同義化してるんだ、と思ってた。前はね。

でも今回、色々調べてみるうちに、そうでもないのかも・・・と思い始めた。

参考URL
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50704750.html
http://blogs.yahoo.co.jp/sensuiartbrain/6369929.html
http://musai.blog.ocn.ne.jp/jijimusai/2006/12/post_e27a.html

他にも、多数。

聖書の言葉も、日本語訳で「言葉」としているだけであって、ギリシャ語では「思想」とか「理念」を意味するらしい。
ふむ。

私の持論に「言葉(単語)というのは難しく、各々が自分の中に辞書を持っていて、それぞれ少しずつ意味が違っている」というのがある。
だから同じ言葉を書いてるのに、意味のニュアンスが違ったり、逆もしかり。
だからこそ言葉でわかりあうってことの難しさを痛感している。

うん。
もしかしたら、無理じゃね?わかりあうのって。

メールや文章では、どうやってもニュアンスは伝わらない。
また、違う辞書を持ち合わせている人同士は、理解できない。

上の考えは、考えることを放棄したとか、投げやりになっていっているのではなく、それが真実なんじゃないかなーと思いはじめてるのですな。
頑張れば頑張るほど、泥沼に嵌っていく。
解決策はない。
数学での10÷3は「3.333333333……」という答えのように、どこまでいっても平行線。
割り切れない、ってのが答え。
数学みたいに目に見えないから答えがあるようだけど、ないんじゃないだろうか?
わかりあえたら幸福だけど、わかりあえないっつうのもしょうがないが一つの答え。

ことわざって沢山の人が使い続けてある種の真理があるものだけが残っていると思うのだけど、その一つに

『沈黙は金 雄弁は銀』

というのがある。
この言葉も色んな意味に取れるけど、ほんとそうなんじゃないかな~。

マッキーは今、裁判で争っている。
裁判ちゅうのは、判決である種の答えが出る。
今回のように、答えが出にくく、色んな誹謗中傷・意見が飛び交う事件にも、ある「答え」は必ずる。
世の中には、答えがないと許せない人も存在しているので、その人たちのために争っているのではないかなと思いました。

争いたくないけど、争うことで楽になる人が居るなら争うか。

そんな考えもできるよね。

言ったり書いたり発表したりしているのは、全て言葉である限り、読む人の受け取る角度で全然違ったものになる。

これが正しい、あれは間違っている。
それは自分の心の中、もしくはすぐに流れてしまう発する言葉に留めておいて、残るものであるものは書かないのが賢いのかも。

話が言葉というものに、寄り道しましたが、
マッキーお誕生日おめでとう。

過去も現在もそして未来も。
あなたにもらったもの、もらえるものは沢山あると思うので、これからもずっと歌っていって欲しいな。
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by arumi-okano | 2007-05-18 12:35 | 思考日記

大好きな人のその後。

本日もお休み。
現在、有給消化中で、週に2日はお休みをいただいているあるみです。
でも体調も絶好調!とはいかないので、外にお出かけもせず、ネットで色々調べてたり、遊んでいたりします。

タイトルの「大好きな人」は、恋愛関係を含めない「大好き」です。

あるアーティストのファンサイトに訪れるようになって、そっから人生がガラリと変わったのですが、そのアーティスト繋がりがなかったら、きっと一生出会わなかっただろう、という人がたくさんいます。

彼はそんな人の一人。

出会った時はまだ大学生でした。
今思えば、旦那さんと同じ大学に通っていたので、同じキャンパスにいたんだろうなー、すれ違ったこともあるかもしれないんだな、と不思議に思います。縁って不思議ね。
初めてあった時に「美しい水をたたえた瞳を持つ」方だなぁと思っておりました。

その人が書く文章も好きで。
(その人が書いた、とわかる文は好きです。匂いというかなんというか一種のリズムが確立されているものは読んでいて心地よいです)
私も文章や日記を書いていたので、詩をいただいたり、文章をいただいたり、何を貰うよりも、一番嬉しかったのでした(って、私はお相手にあまり送れなかったなぁと後悔しきりなのですが・・・)

本日久しぶりにその方のサイトを訪れたのですが、日記を読んでてさらに驚き。
きっと彼と私は同じような仕事をしているに違いない・・・と。

とりあえず、仕事近況を書くと携帯電話ゲームの企画をしていまして、先日アプリが2作品、世に出ました。(版権問題とかで「これです!」と大きく言えないのですが、詳細知りたい方は直接私にメールくださいまし)

ゲーム会社に勤めた、ということは知ってましたが、知らない間に携帯部門に移動していたのねーとびっくりしました。
会社の描写があり、「あーうちといっしょだなぁ」と思ったりしました。

機会があれば、また色々お話したいなと思います。
PCのメルアドが使えなくなってる、ということのですので、もしもここを見てたらメールくださると嬉しいな。

多分名前書かなくてもわかってくれると思いますので、良かったら。
時間が経っててもOKなので、よろしくお願いします~。
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by arumi-okano | 2006-12-05 16:37 | 思考日記

旅の果て

先日、大好きなお友達のお父様が亡くなられて、お葬式にいってきました。
その日も今日と同じ生憎の雨。
でも、ありがたかったことに、お休みの日だったので、参列することが出来ました。

生前お会いしたことは無かったけど、最後に会えて良かったです。
でも、生きてる時にあいたかったな、と残念に思う位、優しい空気に包まれた不思議なお葬式でした。

参加してる人皆が、寂しそうだけど、温かい気持ちで参列していたと思うのです。
義理で参加しているのではなく、心から別れを惜しんで、そしてご家族はもちろん、亡くなられたお父様自身もそこに来てくれたみんなに感謝してるのが感じられるお葬式だったように思います。

私は「空気を読む」「空気を感じる」ということにとても敏感で、なんとなくのオーラをまともに受けてしまうのですね。
空気が淀んでいる所には行きたくないし、重たい空気を持っている人は苦手です。
いやおうなしに、「共有」しやすいから。
人が悲しんでると悲しくなるし、明るく楽しくしてると、楽しくなる。
人間って多かれ少なかれ、そういう所があると思うのですが、人よりも敏感なんじゃないかな?と思うのです。

そのお葬式は、暗い部分はなく、純粋にもうあえないというのが悲しくて、でも「ありがとう」が充満してて。
「良い」という形容詞をお葬式につけるのは、どうかなとも思うのですが、清々しい良いお葬式でした。

お父様もあそこにいらしたんじゃないかな。。

祖父が死んだ時、お通夜では感じてた「気」が、お葬式ではなくなった、と感じました。
それと似たような感覚で、お父様は居てたんじゃないかなーと思ったのですよ。

肉体は魂を守る鎧であり、足枷。
そこから放たれたら、どこにでもいけるけど寂しいほど自由で孤独。
他の人と手を繋ぐ事が出来ず、言葉を交わすことが出来ない。
でも、気持ちは繋げるのではないかなと思っています。

お父様に「大事にしたってな」と言われた気がしました。

彼女は人を大事にしてるので、人から大事にされるけど、自分で自分を大事にしないから、とても心配。私や周りの人がもっと大事にせなあかんのかもなー。
中々連絡しなくて悪いのだけど。。

死ぬときに、その人の人生の価値がわかると私は思っています。
人に心底居なくなって悲しいと思ってもらうこと。
そう思ってくれる人を、作れたというので、計れるんじゃないかなと思うんです。

お母様がお父様の棺にすがり付いて「ありがとう」を連呼していました。

伴侶にそう言ってもらうのが、一番正しくて難しいんじゃないかなと思います。
それを目指して頑張りたいと思います。

旅の果てに、綺麗な涙と、ありがとうがあるように。
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by arumi-okano | 2006-07-24 01:32 | 思考日記